手紙 〜前編〜

 ある日の午後。
 サニーサイドに頼まれていた用事を済ませ、私はウォール街からシアターへ戻るところだった。
 そして案の定、あの美味しそうな匂いにつられ・・・

「お昼・・・食べたかな? 大河くん・・・」

 などと呟きながら、いつの間にか私はあのホットドッグを2人分テイクアウトしていた。
 自分でも「甘いな」と常に思うようになってきたけれど、気が付けば「そうなっている」ワケなので、致し方ない。
 こんな姿・・・たぶん他のみんなには見せられないなぁ・・・なんて思いながら、苦笑いで支払いを済ませる。
 店員から品物を受け取ると、私は足早に彼の部屋へと向かった。

――― コンコン・・・

 ビレッジ地区。
 最近では、もうすっかり通い慣れてしまった彼の部屋をノックする。
 間も無くドアが開かれ、「どうしたんですか?」と言わんばかりの表情で彼は姿を見せた。

「お昼まだなら・・・一緒にどう?」

 そう言って、先ほど買ったばかりのホットドッグの包みを見せる。
 すると彼はプッと吹き出して「またつられちゃったんですか?」と言いながら、私を部屋の中へと通してくれた。

「なによ・・・笑うこと無いじゃない・・・」
「すみません、だって・・・くくくっ・・・」
「・・・もうっ! そんなに笑うのなら、大河くんの分も食べちゃうから!」

 最近では、私が何か珍しい事をするたびに、彼はそんな風に笑うのだ。
 なんだか最初のうちはからかわれている様で釈然としなかったけれど、今ではもう全然悪い気はしない。
 むしろ・・・それがちょっと楽しかったりする。
 一頻り笑ったあと、私が通された部屋とは別の方向に彼は向かった。

「じゃ、ぼくは飲み物、用意してきますね。あ・・・ラチェットさんはコーヒーでいいですよね?」
「え? えぇ。大河くん、コーヒー飲むようになったの?」
「いえ、ラチェットさんがいつ来ても良いようにって、用意しておいたんです」

 さり気なく、そんなような事をさらっと言った。
 きっと本人は、私にとってどれだけ嬉しい一言だったかなんて・・・気付きもしないんだろうなぁ・・・
 そんな風に思いながら、ふと机の上に無造作に置かれた数枚の紙が目に付いた。
 これは・・・手紙?
 その中の1枚に触れようとした瞬間、背後から「わわわっ!?」と焦る声が聞こえた。

「み、見ちゃダメですっ!」
「そ、そんな・・・私は別に・・・」

 手にしていたトレーをテーブルの上に無造作にカチャリと置くと、彼は慌てて私と机との間に割って入ってきた。
 彼の突然の取り乱しように、私も思わず息を呑む。

「す、すみません・・・その・・・ちょうどラチェットさんのことを書いてるところだったんで・・・」
「私の・・・こと?」

 そこまで言えばもう勝手に覗き見る事はないだろうと思ったのか、その数枚の紙を軽く重ねただけで終わった。
 そしてしばし沈黙の中、私たちはテーブルに着く。

「お口に合うかどうかわかりませんが・・・どうぞ、ラチェットさん」

 「プラムさんに淹れ方を教わってきました」と言いながら、ほんのりと湯気の立ちこめるカップを差し出される。
 ほろ苦いコーヒーの香りが鼻を掠めた。

「大河くんて・・・時々こういうことするのよね・・・」
「こういうことって・・・どういうことですか?」
「ん・・・私が思ってもみなかったこと。期待以上っていうか、意外だなって思うんだけど、でも・・・嬉しいこと」

 彼自身は好んでコーヒーを口にするような人ではないのに、私のために・・・と常備してくれたこと。
 私がこの部屋へいつ来ても良いように・・・と言ってくれたこと。
 そんな些細なことでさえ、私にとってはとても嬉しいことだと思えるのだ。
 暖かい気持ちに浸りながら、コーヒーカップと一緒に差し出された砂糖やミルクを入れ、スプーンでくるくると回す。
 すると・・・ほろ苦い香りに、ふんわりと甘さが広がった。

「そんなこと言ったら、ぼくだって同じですよ。今日だって、ラチェットさんお昼持って来てくれましたし」
「それは・・・お昼時にあのお店の前を通ったら、大河くんのことを思い出したから・・・」
「でも、ぼくが嬉しいことには変わりありませんよ。・・・さてと、いただきましょうか!」

 彼はにっこり微笑んでそう答えると、大きな口を開けてホットドッグにかぶりつく。
 そんな彼を見ながら、私は黙ってコーヒーカップに口をつけた。
 いや、黙って・・・と言うよりは、「嬉しい」と言われたことに対して、返って嬉しすぎて何も言えなかったのだ。
 そんな時、思い出したように彼が口を開く。

「あ、さっきの・・・手紙なんですけどね。あれ・・・一郎叔父に書いてたんです」
「一郎・・・大神一郎?」
「ぼく、海軍に入って・・・華撃団に配属されて、いつか一郎叔父みたいにでっかい男になるんだ・・・って憧れてて」

 彼はキラキラと瞳を輝かせて話す。
 『大神一郎』というひとつの目標。
 帝都や巴里を守り抜いたという輝かしい功績ではなく、人として倣いたいと思う憧れ。
 彼は、大神一郎という人間の偉大さを・・・どこか懐かしめいた表情で語り続けた。

「・・・あっ! す、すみません・・・なんか、1人で喋っちゃってて・・・」
「・・・彼のこと・・・とても好きなのね」
「まぁ・・・小さい頃から、ぼくの何歩も前を歩いてるような人で・・・ぼくはいつもその背中を追ってましたから・・・」
「・・・どっちが好き?」

 思わず、そんなことを聞いてしまう。
 だって・・・そんなに熱っぽく語られると・・・

「どっちって・・・何がですか?」

 しかし、案の定というか、やはりというか、思ったとおりの返答。
 それ以前に、大神と私を比べさせようと思った私自身の方が・・・愚かだったのかもしれない。
 比較する対照がそもそも間違っているのだ。

「ごめんなさい、なんでもないわ・・・」

 私は、彼の当たり前すぎる返答に、がっくりと肩を落とした。
 もう・・・鈍感!
 人のことはあんなに話すのに、自分のことになるとまるで馬鹿みたいに子供になっちゃって。
 そんな彼に慕われてる大神が・・・なんだかちょっと・・・妬けてくる。

「あの・・・ラチェットさんは、一郎叔父とぼくと・・・どっちが良いですか?」
「え?」

 落胆しているところに、突然意外な質問を返される。
 それって、もしかして・・・

「いや、その・・・ほら、一郎叔父って、非の打ち所がないってくらい立派な人じゃないですか」
「だから・・・?」

 だから、大河くんと大神を比較しろ・・・と言うの?
 この私に?

「ほら、やっぱり気になるじゃないですか・・・」
「気になるって・・・何が?」
「あの・・・今だから言いますけど、紐育に来たのが一郎叔父だったら・・・どうなってたかな・・・って」
「どうって・・・」

 確かに、言われてみればそうだ。
 当初は『帝国華撃団の大神を』という話だったのだけれど、結果として私たちは大河くんを迎え入れたのだ。
 今でこそ、こんな風にお昼を一緒に食べたり、2人だけで過ごす時間も確実に増えてはいるけれど・・・
 だから・・・紐育に来たのが大河くんではなく大神だった場合を想像するというのは・・・やはり難しい。

「え・・・ぼく、ヘンなこと言いました? ラチェットさん、なんか・・・怒って・・・る?」
「怒ってるわけではないわ。ただ・・・大河くんがあまりにも酷なことを言うから・・・」
「酷って・・・そんなに難しい質問でした?」
「ん・・・難しいっていうか・・・」

 いや、『大神が紐育に来た場合』と言うよりも・・・
 『大河くんと出会わなかった場合』を想像する方が・・・正直怖くてたまらない。
 大河くんという人物を知らない自分。
 大河くんに対するこの気持ちを持ち合わせない自分。
 それは・・・今ここに居る私ではない、まるで全くの別の人間のようで。
 そんな状況を私に想像させる彼は・・・やっぱり酷だ。

「ぼくね、最近、改めて思うんですよ・・・紐育に来て良かったなぁって」
「・・・うん」
「帝撃で頑張るぞ!と意気込んでたら紐育へ配属命令が出るし、紐育に来たら所望品じゃないみたいに言われて」
「それって、大河くんにとってマイナス要素ばっかりじゃない」
「でも、紐育に来たおかげで、ぼくはラチェットさんに会えました。だから、良かったんです、全部」
「うわ・・・」

 大河くんという人は・・・なんてことを言うの!?
 私がそれとなく問いかけた言葉は、あっさりと交わしちゃうくせに・・・
 何故こういう顔が熱くなるような嬉しい言葉は、さらりと言ってくれるのだろう。
 私が「どっちが好き?」と聞いて「何がですか?」と上手く交わしたことも・・・
 逆に「どっちが良いですか?」と、私に大河くんと大神を比較させようとしたことも・・・
 もしかしたら、計算のうちだったのかもしれない?
 いや、この大河くんに限って、そんな器用なことは・・・
 それとも、いつも見せられてる子供っぽい大河くんの方が・・・偽りの姿!?
 そんな風に頭の中で葛藤を繰り広げていると、彼は申し訳無さそうに声を掛けてくる。

「あの・・・ぼく、そんなに悩ませるようなこと、言いました?」
「ん・・・大河くんって時々ズルいから」
「ズルい? ぼく、ラチェットさんのこと好きなのに・・・ズルいことなんてそんな・・・」
「そ・・・そういうのがズルいの! なんで平気な顔してそんなこと・・・」
「そんなこと?」
「私のことが・・・とか・・・」
「だって、そういうのはちゃんと言ってあげなきゃダメだ・・・って」
「そ、それはそうだけど・・・」

 だからと言って、あんなに何度も甘い言葉攻めにあう私の身にもなって欲しい。
 このままじゃ、普通に会話をすることは愚か、顔を合わせることだって・・・困難になってくるかもしれない。
 私の方が恥ずかしすぎて。

「それとも、ぼくに言われると困りますか?」
「そんな、困るわけない・・・けど、別の意味で困るの!」
「じゃあ・・・ぼくはラチェットさんのこと好きなのに、『好き』って言っちゃダメなんですか?」
「それは・・・わかってるから・・・大河くんの気持ちはちゃんと。だから・・・ね?」
「はぁ・・・ラチェットさん何も言ってくれないから、ぼくが言い足りないのかと思ってました・・・」
「何も言ってくれないって・・・私!?」

 そうだ・・・よくよく考えてみれば、私は『さり気なくそういう態度』で接していたつもりだけど・・・
 この大河くんに限っては、『さり気なく』では全く通じないのだと、改めて気が付いた。
 私が何も言わないから・・・ということは、私が気持ちを言葉に言い表すことを・・・彼は望んでいるということ?
 彼に好きだと言われ続けるというのも何とも言い難いけれど、自分が言う方がもっと恥ずかしい。
 でも・・・

「や、やっぱり・・・私も言わなきゃダメ?」
「う・・・きっとここで『言わなきゃダメ』って答えたら、それこそ本当にいじわるな人になっちゃいますよね、ぼく・・・」
「で、でも、恥ずかしくて言えないだけで、嫌いってわけじゃないから! 大河くんのことはちゃんと好きだから、ね!」
「うわ・・・聞いちゃった・・・」
「え?」

 聞いちゃった・・・って、何を・・・?
 私、今、何かヘンなこと・・・言った?
 一体、何を・・・?

「ラチェットさん、今、言いましたよ、『大河くんのことはちゃんと好きだから』って」
「え・・・うそ・・・」
「ぼくのこの耳が、ちゃんと聞き取りました」
「い・・・言ってない! 私、そんなこと言ってませんっ!」

 にっこりと微笑んで、彼は自分の耳を指さしてみせる。
 瞬間、ケトルの水が沸騰するかのように、顔がかぁっと熱くなった。
 私は慌てて「そんなことはない」と大きく首を振って否定してみせるけれど・・・
 もしかしたら・・・この場合、『取り乱した』という言葉が私には一番似合っているのかもしれない。

「えー、せっかく聞いたのに・・・それじゃ、もう一度・・・」
「もう一度も二度も言わない! 言いません! 言えませんっ! もう・・・お願いだから・・・」
「あははっ・・・良いですよ、もう。こういうことは強要するものでもないですし・・・」
「そ、そうよ! 伝えたいと思った時に自然に出る言葉だもの! ね?」
「だから、ラチェットさんが自然に言ってくれるの、ぼく、楽しみに待ってます!」
「そんな・・・もう・・・大河くんのいじわる・・・」

 普通の人から見れば、きっとたぶん他愛ない会話。
 初めて出会ったあの頃は、お昼を食べながらこんな会話をするなんて思わなかったはず。
 『慣れ』の一言で済ませてしまえばそれまでなのだけど・・・
 なんというか、こういう雰囲気も悪くないなぁ・・・なんて、つくづく思うようになった。
 私は恥ずかしさを落ち着かせるために、黙ってホットドッグを口に運ぶ。
 そして彼もまた・・・嬉々とした表情でいつのまにかホットドッグを平らげていた。

「あ、そうだ・・・ラチェットさんも手紙書きませんか?」

 彼は突然、とても良い提案!と言わんばかりに話を切り出してきた。
 私の方は、先ほどの恥ずかしさもすっかり薄れ、自然と話を聞き返す。

「手紙って、誰・・・まさか大神に?」
「だってほら・・・前にラチェットさん、帝国華撃団に居たことがあるって言ってたじゃないですか」
「あ・・・それは・・・確かにそうなんだけど・・・で、でもね・・・」

 突然の誘いに私はためらった。
 実際のところ、帝国華撃団の人々と行動を共にしたのは数週間のこと。
 大神に限っては・・・たった数日のことくらいしか思い出と呼べるものは無い。
 だから・・・手紙として書き綴れそうなことは何も・・・

「お願いします、ラチェットさん・・・ね?」

 そうしてまた、人を惹きつけるその笑顔。
 私がその笑顔に敵わないということを知っていての振る舞いか・・・
 もうすっかり、私は彼のペースに引き込まれてしまっていた。

「わ、分かりました・・・書きます。書くけど・・・でも、絶対に覗かないって約束してくれる?」
「やったぁ! それじゃ、この辺ちょっと片付けて・・・っと。ぼく、食べ終わった食器とか洗ってきちゃいますね!」

 私が何とか大神へ手紙を書くことを引き受けると、彼は大喜びでお昼の後片付けを始めた。
 彼が空いた食器を持って行ってしまうと、テーブルに残った「拭いてくれ」と言わんばかりのダスターに気が付く。
 なんか、こういうのって普通逆かも?・・・なんて少し思いながら、私はテーブルを丁寧に拭いた。
 さて、どうしよう・・・。
 彼には「手紙を書く」とは言ったものの・・・実際にどのように書こうかなんて決めていたわけではない。
 私は、彼が洗い物から返ってくるまでの短い時間、何を書けば良いのかと悩みながら待つことにした。